四畳半の住人 / 自転車生活 / おまけ:ママチャリ時代

■■ おまけ:ママチャリ時代 ■■
作者:四畳半の住人
 つまらないので本当にオマケの話しです。似たような子供がいたら「女の子の癖に」などと言わず、「変人扱い」もせず、優しくしてあげてください。

 初めて自転車に跨がったのは小学校3年生と遅かったです。家族の誰も自転車に乗らないので、友達の自転車で練習しました。それを考えると、最近の子供はいいなぁ、、とちと羨ましい。で、乗れるようになった私は、「危ないからダメ」という親にしつこくおねだり。普段からおねだりしない子供だったので、小学4年生の時に、しぶしぶ自転車を買ってもらいました。

 初めての自転車は、20インチの俗に言うママチャリ(その当時は、お買い物自転車と言えば小径車でした)。いきなり行動範囲が広がり、今まで遠くて行けなかった公園も行くようになり、社会科で貰った板橋区の地図を見て、隅々まで1人走り、夜になってしまい何度か警察官と一緒に帰ったこともありましたね。ははは。今になって思うと、親にはずいぶんと心配かけたなぁ。。

 乗るのも楽しかったのですが、自転車は別の楽しみも与えてくれました。私は幼少の頃から【分解癖】があり、時計やらラジオはもちろん、掃除機の電気コードの巻き取り部分みたいな場所は絶対に分解。ボンボン時計、熱風を吹きだす美容室の大型ドライヤーも分解。美容室にとってドライヤーは商売道具なので、随分と怒られました。そんな私でしたので、当然、自分だけの持ち物である自転車に分解欲が向けられます。あのママチャリで私の人生の方向(金属方向っての?)が決まってしまいました。(^_^;

 お年玉で買うのは、スパナやドライバーなどのハンドツール。父親が不在がちで工具の類いは自分で揃えるしかないので、安い工具を集めては、日々、自転車を分解。大切な自転車が乗れなくなると困るので、少しづつ分解(解体に近い)しては組み立ててを繰り返し、必要ないのにグリスアップ。最後は、クランクから、スポークの一本までバラバラにしてしまい、さすがに乗りづらくなった覚えがあります。結局、それは直せず、ゴミ自転車を拾ってきて合体させてそのまま中学校卒業まで乗りました。今、思うと、専用工具もなくてドライバーとハンマーで無理やり分解するという荒技でした。子供って恐い。  

 中学校に入ると、友人達はスポーツ車(当時はロードマン)に乗るようになり、私も欲しかったのですが、遠目に見るだけでした。自転車専門店も知らず、お小遣いではとても買えず、身長が低いこともあって、雑誌の裏表紙に乗っているスポーツ車を見ては、乗れそうな車種を探すのが趣味というちと寂しい思いをしていました。

 そんな中学生でしたので、進学希望は工業高校。親からも担任の先生からも猛反対され、折衷案として提案したのが、高校案内の最後にあった工業高等専門学校という5年制の学校でした。今になって考えると女子高に行かせようとした親との折衷案とは思えませんけどね。まぁ、勉強が嫌いだったので大学は無理だし、普通高校よりは結果的にはよかったと思っていますがね。。試験勉強などそっちのけ(妹は私が試験勉強をしているのを見たことがないらしい (^_^;)でひたすら分解欲を満たし、部活動で体を動かしているうちに入学式。その後、念願のスポーツ車にもバイクにも乗るようになり、【女の子らしく】という親の期待を完璧に粉砕して今に至ります。(ちなみに、本人はまったく普通と思っています。誤解なきよう)
自転車生活いろいろ

2003年10月27日作成 四畳半の住人