四畳半の住人 / 四畳半、たまに思うこと / 糖尿列島を読んで

■■ 糖尿列島を読んで ■■
作者:四畳半の住人 -
 糖尿病ってよく耳にしますが、よく知りませんでした。そんな私がある日、古本屋で1册の本を手に取った時、その病気の恐ろしさを感じることになりました。よく考えるとエイズよりも恐ろしい現代病だったのだ、、と痛感しました。B級ホラー映画よりは確実に背筋が寒くなります。読後はしばらく飽食が止まりましたが、心弱き私はもう忘れかけてしまうので、ここに置きます。メールで友人に送信したものですが、そのまま掲載します。

 私と同じ年代の友人が糖尿との診断を受けたらしい。【糖尿】という言葉はよく耳にするけど実体はよく知らないし、どういう病気なのかさっぱりわかりませんでした。友人から聞いた私は、 「ふ〜ん、入院?? 糖尿で?? 大変みたいだねぇ、、見舞いに行くよ」
糖尿列島 別に特に気にせず、日々を過ごしていたところ、ある日古本屋の100円の箱から1冊の本を見つけました。

「糖尿列島」
 〜「10人に1人の病」の黙示録
 著者 鴨志田 恵一
 情報センター出版局 発行
 1991年11月13日 第1版
 1994年 6月21日 第17版

 そういえば、奴が糖尿だっけ、、、読んだら貸してあげようと購入したのですが、読んでみたら、それはそれは恐い本で、とても患っている友人に見せられませんでした。
 栄養指導の話しも出てくる。そう云えば、友人の栄養士はよくこんな話しをしていたっけ。食事の1単位って教えて貰ったよなぁ、、読み進むと、私だって糖尿になってもおかしくない生活みたいです。私だけというより、全ての日本人が糖尿病になってもおかしくありません。
以下、私が恐く感じた一部分を紹介します。色がついているのは、私の感想です。

第一章 入院生活より

糖尿患者の末路はみじめです。枯死のようです。
じわじわと真綿で首を締められるような死です。
抑制しないと、もうみなさんはポックリ死ぬことは出来ない。
腐るように死ぬのです。
腐るように。。。。最悪だ。
じわじわと。。。。まるで拷問だ。
枯死。。。。実に恐ろしい。


中略
 禅寺では、毎食の前に「五観の偈(ごかんのげ)」を唱える。食事を受ける時、反省と感謝など五つの教えを復唱するものであり、キリスト教徒も食前に感謝の祈りを捧げる。こういうことの意味を考え直す患者は、その後やや理屈っぽい人間になるが、なんでもよいから食うことについて考える習慣が先決である。
 「五観の偈」の第四番目にはこうある。
 <将に良薬を事とするは、形枯を療せんがためなり>
 この意味は、日々我々がとる食事を良薬と考え、その良薬を服して我々の肉体と精神の枯死を防ぐ。このように観じて食事をとることが大切。日々の食にを単なる食物と思うから、それに対してまずければ腹を立てたり、おいしければ貪ったり、また惜しんだりする。もし、日々の食物を摂るのは、飢えや渇きを癒やし、肉体の枯死を免れ、心を豊かに保つための良薬と思えば、煩悩も怒らずに、平和な心持ちをもって食事をすることができるだろう。
 糖尿患者の食事はまず、この精神でいかねばならぬのだ。
 若き女性の栄養士は、禅僧ではない。

 説教の代わりに、数々の模型を机の上に並べた。ご飯、肉、魚、くだもの、野菜、牛乳の雛形模型がずらりと。幼稚園の授業で、物の名前を教わるわけではないが、患者たちは、「そうか、食うことの授業とは、ここからやるのか」とウンザリした気持を抱く。
 しかし、この模型は単に食物の種類を示すのではなく、「1単位」(80kcal)の量を表示するもので、見た感じで蛋白質の1単位とはどれくらい、糖質はどれだけ、などを教えるものなのだ。私の場合、1日1600kcalの摂取が指示されたが、これは食物20単位となる。実際に何をどれだけ食えるかは、食物の単位相当量を知らねば、実行できないのだ。

第2章 社会への復帰〜公衆便所での予感

強じんな精神力で回復に向かった著者は
外来受診の時に自分が入院していた病棟に向かいました。
 蓄尿のガラス瓶がずらりと並ぶトイレが目的である。あの甘い尿糖の臭いを確かめてみたかったのだ。この特有の臭いを私は他所の所でも嗅ぎ、まさかとは思っていたのだが、どうやらあれは同じ臭いである。私の鼻が間違っていたのではなさそうだ。
 その足で、帰宅途中の新宿駅構内公衆便所へ直行する。これも尿意があるからではなく、単に臭いを嗅ぎに行くためであった。
「ウッ、まったく同じ臭いだ」
私は唖然となる。
 糖尿患者だけが使う東京都済生会中央病院9階のトイレの臭いと同じものが、都会の真ん中新宿駅構内の公衆便所にむせかえっている。
 普通、男子の公衆便所はアンモニアとアルコールが混じった特有の臭いなのだが、ここへ来るといつも不思議な、それでいて身に覚えのある甘い臭いを嗅ぐので、何だろうと思っていたのだ。
 間違いなく、尿酸の臭いだった。やや排水に難があり、天井の低いこの便所は臭気がこもりやすいのだろうが、いかに多くの糖尿病有病者が街を歩いているかの証明である。まだ、何も気が付かずに尿酸を排泄している者が大半ではなかろうか。
 たいへんいけないことだが、私は抑えられず、女子便所にも間違えたふりをして一歩足を入れてみた。確かめたくてならなかったのである。驚いた。同じ臭いだ。これは凄い。世は糖尿有病者だらけなのだろうか。
 私には糖尿病患者の尿の臭いがわかりませんが、もしや、自分の臭いもそうなのか?と思ってしまいました。確かに駅のトイレってのは、臭いますよね。男子トイレならともかく、女子トイレでも尿の臭いが残るってことがあるのでしょうか。

第3章 患者急増の現状〜専門医の取材から

 すでに、古代エジプトのファラオ(国王)に糖尿病患者がいただろう、との文献のあることを紹介したが、紀元2世紀に小アジア半島(現トルコ領)の医師アレテウスが、糖尿病についてこんなふうに叙述しているものを読んだ。
 
 「この病気は、それほど多くはないが不思議な病気で、肉や手足が尿の中に溶け出してしまう。経過ほどの患者でも一様で、腎臓と膀胱が冒される。患者は水を作ることを寸時もやめず、水道の口から流れ出るごとく絶え間ない。病気は慢性で一定の形をとるまでに長い時間がかかるが、いったん病気が完成されてしまうと、患者は短命である。溶け出しは急速で、死もまた早い」
 実に不思議な病気であるとの驚き、恐れが医師らしい冷静な観察で書かれている。アレテウスの前のギリシア時代から、この病気にはサイフォン、つまり漏斗という名前がついていた。それが英語の diabetes の語源。水がジャージャー流れる漏斗の人ということだ。現代医学用語での、自覚症状や合併症に関する表現、説明より凄い。 肉や手足が尿の中に溶け出してしまう
患者は水を作ることを寸時もやめず、水道の口から流れ出るごとく絶え間ない
溶け出しは急速で、死もまた早い

 なんとも、この患者は絶望的だ。救いがない。当時の医者も周囲の者も、あまりに不思議な症状に首をひねり、手をこまねき、ただ好奇の対象として見るしかないのだ。
 私が紀元2世紀に生まれていたなら、そんなふうにして死んだのであろう。緊急入院直前のあの喉の渇き、空腹感。そして多尿、体重の減少。ケトン体の反応も陽性で、蛋白質や脂肪も溶け出していた。まさに、肉体も精神も尿となって流れていたのだ。「この男も例の不思議な病気で死んだ」 と、アレテウスに言われて、おしまいのところだったのである。

 HIVウイルス感染などならある程度、自分が気をつけていれば防げそうですが、この本を読むと糖尿病とは、現代人、特に食べるのが好きな人間は誰がなってもおかしくない病気と感じます。私も酒は飲みますし、食べることも大好きで、飲んだ後に食べ過ぎることもよくあります。いままで、糖尿というのは太り過ぎの人がかかるものと思っていましたが、この本の著者は、剣道をやるスポーツマンで、普通体型でした。私なんて一発でかかってしまうのではないかと恐くなりました。
 この本は糖尿病の患者の教育用にいいかもしれないけど、ちょっと強烈すぎます。糖尿病にかかる前に読んでください。文中に出てくる五観の偈について調べてみました。
五観の偈を見る

2000年12月作成 四畳半の住人