両親が早死なので,親が70歳だの80歳だの聞くと羨ましくもあり,逆にいつまでも生きていて当たり前って感覚の人が多いのに驚きます。親がそんな年齢ならば,葬儀やに遺影写真の事も考えてもオカシクないのに・・・ま,写真を撮るだけでも,,と両親が居る友人には,普段から写真を撮るようにと言い続けています。それでも,誰も聞き入れてくれませんね。で,急に遺影を作って欲しいと頼まれると,それはそれは酷い写真です。4,5人で写る写真で,顔の大きさは親指大どころか,乾燥大豆や乾燥小豆ぐらい。たった3ミリの顔を,どうやって四つ切りに伸ばせっていうんだよ!30倍に拡大したって無理だよ,で,,そういう写真しかない人は解像度なんて言葉もしらず,液晶画面で観たようにキレイに印刷出来るって思ってるからね!
しかも,前々から言っているのに,いよいよ危なくなってから頼んでくる。業者に頼めば品質悪い遺影でも作ってもらえるから,私がお金を払って業者に頼みたい気分です。実際,やりたくない写真ばかり。。
みんな気にしないんだね。遺影って一生観る写真なのにね〜と思っていた矢先に,友人からのメール。
親戚のおばあちゃんが何と、107歳で亡くなられました。
私が撮影した写真・・・遺影に使って貰ったんですよ!
大好きで大切な人だったから、凄く嬉しかったです。
たまたま長生きし過ぎて107年・・・と言う訳じゃなく、
最後の最後までしっかりされての107年間の生涯でした。
遺影に使った写真は、実に無くなる1ヶ月前の事です。
母と私と2人で、おばあちゃんを訪ね、その日は
おばあちゃんの大好きな超・酸っぱい甘夏と、
信濃の(昔、長野にいたので)リンゴを持って
一緒におやつを食べ,たくさんお話しして,楽しかったなぁ〜!
『あんまり美味しいんで、もう夢中に食べてしまったわ!』
『一緒に食べて。1人で食べたらつまらない。』
私が『お母さんと一緒に写真を撮るから、ニコって笑って!』
の言葉に『笑えって言われなくたって、こんなに楽しい日だから
ついつい笑ってしまうわ!』と・・・。それらの会話は、本当に
可愛らしく、今、私の中で宝物になっています。
おばあちゃんは翌日、お風呂に入れて貰っている最中に
脳梗塞になり、会話はあれが最後になりました。
母と私は、凄く幸せ者だと思っています。
あんな素敵なおばあちゃんと、最後 凄く楽しい時間を
共に過せた訳ですからね・・・。
これね!常々、遺影の話を聞かせて頂いていたでしょ?
だから、そんな風に、時々気にしては撮影出来る様になったんだと思っています。
以前は,何だか、最後の為に?とか、何処かで罪悪感みたいな変な間違え感覚を持っていた様に思います。
撮影した日のおばあちゃんは、どれも、とっても可愛く綺麗でした。
お通夜で久し振りに会った親戚数人から、その写真を私にも印刷して欲しいと言われたりして、早々送りました。
とても嬉しい事でした。
多分、本当に心から大事で大切な人が逝ってしまうと、どれだけ遺影が大切な物なのか
そして、ずっとずぅ〜っと付き合っていく一枚の写真である事には気がつけないのかも知れませんね。
父の遺影は、家族みんなで一番気に入っているモノを使う事が出来ました。本当に優しくリラックスした父らしい素敵な(言い過ぎ!?)
写真なんです。その時の自分の心を映してくれる父の遺影。
私が辛い時、嬉しい時、頑張りたい時、、、その全部を
父の遺影が表情で表してくれています。これホントですよ。
何より心が落ち着く。遺影って、そんな写真でありたいと
父から学ばせて貰っている気がします。
そして、初めて思わせて貰える切っ掛けを作ってくれたのは
やはり四畳半さんでした。
皆、今があるのって当たり前って思えちゃう。
だけど、今ある幸せって、絶対に永遠なんかじゃないんですよね?
その大切な思いを自分の心に留めるための1つに遺影って存在している様にも感じます。
とぉ〜っても長々失礼しました。
おばあちゃんの写真、サイトに使って頂けるなんて私は凄く凄く嬉しいですよ。